原作者が伝えたかったもう一つのソラリス

惑星ソラリス White Dragon Cut

タルコフスキーのソラリス

タルコフスキーのソラリス

「惑星ソラリス」は旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーにより、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの原作「ソラリスの陽のもとに」を映画化したものだ。映画は1972年に完成しているが日本での公開は1978年(岩波ホール単館での上映)である。

監督のタルコフスキーは水・炎の映像の美しさで知られているが、本編中盤での雪と炎の映像は美しいの一言だ。
また、タルコフスキーが自身の映画で繰り返し描いた人体浮遊シーンも、映画の中盤で効果的に使われている。

原作者のスタニスワフ・レムは、知性を持つソラリスの海と人間とのファーストコンタクトを主軸に、人間の価値観が全く通用しない海に翻弄される人間の姿を描いた。「人間の価値観が絶対的だと考えることの愚かさ」「自分自身とまったく異質なものとのコンタクト」ということが、原作のテーマだったようだ。

一方、タルコフスキーは原作の設定だけを抽出し、レムのテーマは踏襲しなかった。タルコフスキーは本作で人間の中にある「過去」「思い出」「深層心理」にフォーカスしている。後にこのテーマは1974年の「鏡」へと受け継がれることになる。正に「惑星ソラリス」は、レムの設定を借りたタルコフスキーのソラリスだったのだ。

「馬鹿野郎!」激怒したレム

「馬鹿野郎!」激怒したレム

「人間の価値観が絶対的だと考えることの愚かさ」をテーマとしたレムの原作では、人間とソラリスの海は意思疎通できないままエンディングをむかえる。

一方タルコフスキーのソラリスでは、海は主人公クリスの深層心理を理解し、彼に答えを返してくる。

タルコフスキーがレムと正反対のテーマでソラリスを映画化したことにより、二人の間で大喧嘩が起きたことはタルコフスキーやレムファンの間では有名な話だ。激しい口論の末に、レムはタルコフスキーに「馬鹿野郎!」と捨て台詞を吐いてポーランドに帰ってしまった。

タルコフスキー版エンディング

タルコフスキー版エンディング

クリスは懐かしい故郷の家で父親と再開し、彼に抱擁する。
しかし、なぜか家の中には雨が降っている。
カメラがゆっくりと上空へと上がっていくと、クリスがいる故郷がソラリスの海に作られたミモイド(疑似形成体)であることが分かる。

レム版エンディング

レム版エンディング

クリスは海が作ったミモイドの島に降り立つ。そこにはポンペイの遺跡のような廃墟が形成されている。クリスには、なぜそのような物が形成されたのか理解できない。やがて遺跡はバラバラと崩れてしまう。

クリスは海に近寄り手を差し伸べてみる。すると一瞬海がクリスの方に寄るような動きを見せるが、すぐにそれは消えてしまう。

レムのテーマを踏襲する

レムのテーマを踏襲する

「惑星ソラリス WhiteDragoCut(以後「WDC」と記載)」は、レムのテーマを踏襲する。
WDCでは、海は人間を理解しないし、人間も海を理解できない。エンディングはレムのエンディングを創造することになる。

あわせて、各シーンに残る1972年の遺産を最新のものに置き換える。
ダイヤル式のコンソールはタッチパネルや自照ボタンに、デスク上のオシロスコープはコンピューターディスプレイに置換えられる。